introduction
最初は信じられなかった。
けれど彼は『マカベ・シンジ』だった。
俺は彼の記憶を持っているけど、
『マカベ・シンジ』じゃない。
あの子はあの子なりに考えてくれている
そう、『マカベ・シンジ』のように。
俺は『マカベ・シンジ』が、ミヤシタ・ユキを
どれだけ大切に思っていたのかを知っている。
彼は私を支えてくれる。
俺は彼女を守る。
だけど彼は『シンジ』じゃない。
だけど俺は『マカベ』じゃない。
俺は――
『マカベ・シンジ』になりたいわけじゃない。
守りたいと決めたのは俺だから。
21歳マカベ・シンジの記憶を持つ11歳のキョウスケ。
そのマカベ・シンジの彼女、21歳ミヤシタ・ユキ。
マカベ・シンジの死は、不可解なものだった。それを探っていくうちに、キョウスケは闇の存在や世界結界のチカラを知る。
そして、その危険はミヤシタ・ユキにも迫っていた―。
「俺を信じて欲しい。
あいつと、思いは一緒だから――」
雨が止んだ。
人を待っている身としては、あの降っているか降っていないのか分からない霧のような雨は気分を鬱屈とさせる――。
九堂・今日介(クドウ・キョウスケ)は、ふぅと息を吐き、そして、冷えた手を擦り合わせた。
夜の鎌倉駅――レンタサイクル店の前でキョウスケは人を待っていた。
観光客目当てに自転車を貸し出しをしているが、午後5時で営業は終わっているため営業の邪魔にはならないだろう。
今日はやけに寒い。12~3℃じゃないだろうかとデジタル温度計が無いかと周囲を見渡すが、鎌倉駅の三角屋根の下、アナログな時計しか見当たらない。見ると、八時半を回っていた。
『この日課』も続けて一ヶ月になる。待ち時間が八時を過ぎると小学校六年生のキョウスケは何度か補導されかかった。最近は164cmの身長を活かし、補導員に堂々とした態度をとれば騙し通す術を身に着けた。
――今日は少し遅いな。
そんな事を考えていると、
「さっむいなぁ」その声の主は黙って今日介の隣に座る。コートの襟を寒い寒いと押さえているのは文月・蹴一(フミツキ・シュウイチ)だ。
シュウイチとは、転入先の銀誓館学園の小学生クラスで知り合った。彼も同じ歳で、クラスは別だった。シュウイチが蘭組で、キョウスケが薔薇組。校舎裏(皆は授業中)でばったり会ったところから、仲が深まった。
待ち人はこのシュウイチでは、もちろん無い。
寒いと言っているが先ほどまで、ナンパした中学生と近所のイワタコーヒー店に行っていたのは知っている。キョウスケは時計を見た。店に入って出るまで40分。今日は長いほうだな。ひとりで来たって事は、またフラれたことは明白だ。
シュウイチは、毎日こうして付き合ってくれているのだが、横で側を通る女の子に、かたっぱしから声を掛けるのはやめて欲しいと何回言ったら判ってもらえるのだろうか。
しかし、寒い。
キョウスケは、イワタコーヒー店の人気メニュー、厚さ5cmのホットケーキを思い出した。あれを食べながら暖まりたい。いや、食べたいというのは間違いだ。
――俺は甘いのものが嫌いだ。
イワタコーヒー店に入ったことも無い。しかし、店の間取りや、ホットケーキが焼くのに時間がかかることも知っている。それは俺の中にある『マカベ・シンジ』という男の記憶だ。別に生まれ変わりって分けではない。始めはそうかと思い、市役所や図書館などで彼の経歴を調べた。
彼はもう死んでいたが、それはつい最近の話で、この記憶が自分の頭に突然叩き込まれたのは、ほぼ彼が死ぬのと同時だ。
まるで彼の忘れ物を拾ってしまったかのようだった。そして、それから数週間、彼の記憶の足跡を辿った。
そして、彼女に行き着いた。
「来た」シュウイチが短く言った。
駅から出てきたのは、マカベ・シンジの彼女、ミヤシタ・ユキだった。
俺は彼女を守ると決めた。
イワタコーヒー店は、彼らの待ち合わせによく使う場所だった。
俺はまだ、『ふたりの思い出の場所』には怖くて入れなかった。
続く